記憶障害とは何か、そしてどのように向き合っていくか

高次脳機能障害 × 生きる力

記憶障害とは何か

記憶障害と聞くと、「物忘れがひどくなる」程度に思われがちです。
しかし実際には、そんな単純な話ではありません。

出来事自体を認識できなくなったり、
学習したことが突然巻き戻ったり、
意識していたことそのものが消えてしまうこともあります。

記憶とは、「覚えているかどうか」だけでなく、
「今ここにいる」という感覚そのものに深く関わっているものです。
記憶障害とは、単なる忘却ではなく、世界との接続が絶え間なく脆弱化する現象だと、私は感じています。


私が直面した記憶障害の現実

思い出せないだけではない

私の場合、ただ「忘れた」というよりも、
「そもそもその出来事が存在していたこと自体を思い出せない」ことが多くありました。

たとえば、誰かと話して約束を交わしたとしても、
そのやりとりそのものが、数分後には消えている。
自分自身にとって、その時間、その場、そのやりとりが「無かったこと」になってしまう。

これは、ただ単に「忘れっぽい」では片付けられない現象です。
自分の世界から、確かに存在していたはずの「過去の事実」が消える。
この喪失感を、言葉にするのは簡単ではありません。


ルールの巻き戻り

記憶障害には、もう一つ厄介な現象があります。
それが「巻き戻し」です。

たとえば、職場や日常生活でルールが変更になったとします。
普通なら、多少の戸惑いを経ても、新しいルールに慣れていくものです。
しかし私の場合、意識して覚えたはずの新ルールが、
ふとした瞬間に「なかったこと」になり、以前のルールで無意識に行動してしまうのです。

そして、間違ったことをしている自覚もない。
なぜなら、私にとってはそれが「正しい行動」として再生されているからです。

周囲から見れば、「どうしてそんなミスをするんだ」となるでしょう。
しかし本人には、その違和感すらわからないのです。


記憶の誤想起

さらに厄介なのが、「記憶の誤想起」です。

記憶が抜け落ちるのではなく、間違った記憶を、正しいと信じ込んで思い出してしまう現象。
そして、それを本人は全く疑わない。

「思い出せない」だけなら、周囲も「ああ、忘れたのか」と気づいてフォローできます。
しかし「間違って思い出す」と、周囲も騙され、混乱が広がります。

悪意はありません。
本人は本気で「真実を伝えている」と思っています。
それゆえに、周囲も信用してしまう。
結果的に、状況はさらに悪化し、信頼関係が大きく損なわれてしまうこともあるのです。

これは、ただの物忘れとは異なる、深刻な社会的リスクを伴う現象です。


記憶障害と向き合うために必要だったこと

記録すること

記憶が保持できないなら、外部に保存するしかありません。

私は、手書きのメモ、スマホのリマインダー、Evernoteなど、
あらゆるツールを駆使して「第二の脳」を作ることに力を注ぎました。

最初は、メモを取ったことすら忘れてしまい、
膨大なメモに埋もれて混乱しました。
それでも、あきらめずに記録を続ける中で、
次第に「メモの運用そのものを管理する」という感覚が育っていきました。

情報を蓄積し、再利用できる仕組みを持つこと。
それは、私にとって生きるための必須条件になりました。


自分を責めすぎないこと

何度も失敗を繰り返すうちに、自分を責める気持ちが湧いてきました。

「なぜできないのか」
「なぜ覚えられないのか」

責めても何も変わらないことは、頭では理解していました。
それでも、感情は追いつきませんでした。

しかし、少しずつ気づきました。
自己否定は、記憶障害そのものよりも、
心を蝕み、歩みを止める要因になると。

失敗しても、また挑戦できる自分でいるために。
私は「責めるのではなく、許す」という生き方を選び始めました。


理解できない人と無理に繋がらない

以前の私は、元いた世界に戻りたい一心で、無理に無理を重ねていました。
理解されない苦しさに耐え、周囲に合わせようと必死でした。
その結果、さらに傷つき、疲弊し、二次障害に苦しみました。

しかし、支援の場や新しい環境に触れる中で、
私は気づきました。

「理解できない人に無理に合わせる必要はない」
「理解される場所を、自分で探せばいい」

無理に過去を取り戻そうとするのではなく、
未来に向かって、自分に合った場所を見つける。

それが、今の私の歩き方です。


完璧な対処法はない。それでも

どれだけ工夫しても、完全にミスを防ぐことはできません。
どれだけ努力しても、記憶障害は消えません。

それでも、私は工夫を続けています。
試行錯誤を続けています。

完璧を目指すのではなく、
「昨日より今日、少しだけ生きやすくすること」
それを目指して、今も歩き続けています。


まとめ:記憶障害とともに歩く

記憶障害は、私から多くのものを奪いました。
過去も、積み重ねた努力も、信頼も。

けれど、すべてを奪ったわけではありません。
私は今ここにいます。

忘れても、間違えても、巻き戻っても、
それでも歩くことを、私は選びました。

そしてこれからも、歩き続けます。
記憶障害とともに。

※私は、忘れても困らないように“再起動の仕組み”を作るという考え方で生活を組み立てています。
その一例が 👉 「トリガーメモ」という仕掛けの話 です。

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