🟦はじめに
新しい世界へ踏み出そうとしている今、私の中にはいくつもの「不安」があります。
でも、その不安こそが、実は私を守ろうとする声でもある──そんな気づきもありました。
この記事では、「不安」と向き合う自分の姿を、正直に記録しておこうと思います。
🟦私が感じている不安たち
- また否定されたらどうしよう
- 「そんなの普通でしょ?」と一蹴されたら?
- うまく伝えられず、理解されないのでは?
- いつのまにか迷惑になっていないか?
- 「不安に思う自分」を責められるのでは?
- 自分でも「気にしすぎかな?」と思ってしまう自責
- 「この程度のことで」と言われる想像が止まらない
- 前回の失敗がまた繰り返されたら?
- 怖くて質問できず、また取り残されてしまうのでは?
- 自分が弱く見えるのではないか?
- 不安を伝えたことで、信頼を失ってしまうのでは?
- 「障害特性のせいにしてる」と言われたら?
- その場では優しくされても、裏ではどう思われてるのか?
- 「前も同じこと言ってたよね」と呆れられる未来
- 自分自身でも「また同じことを気にしてる…」と落ち込むこと
こうして書き出してみると、不安は単なる「心配」ではなく、
過去の体験や無力感、社会とのズレの中で蓄積された「記憶」そのものなのだと思います。
🟦不安と向き合う──私なりのやり方
私は完璧に「前向き」になれたわけではありません。
でも、不安に飲まれそうなとき、「書く」「分ける」「言葉にする」ことで少しずつ整理しています。
たとえば、Evernoteに「不安ログ」を作り、
・不安が起こった瞬間
・その時の状況
・自分が感じたこと
・実際に起こったこと
を記録しています。
すると、「前にもこんな不安があったけど、ちゃんと越えてきたんだな」と思える瞬間があります。
不安はゼロにならなくても、「形が見える」だけで少し扱いやすくなるようです。
🟦それでも私は進む理由
それでも、新しい世界に向かおうと決めたのは、
「このままでは、私の力が埋もれてしまう」と気づいたからです。
信頼されることも、誰かの役に立てることも、
嬉しくてたまらなかった──
でもそれを“当然”として扱われる場所に長くいたことで、
私の心は少しずつ削れていたのだと思います。
私はまだ、「働ける人」でいたい。
そして、「頼られる人」でもいたい。
だから、もう一度、安心して力を発揮できる環境を探しているのです。
🟦おわりに
正直に言えば、いまでも「不安は敵じゃない」と言い切ることはできません。
できれば感じたくないし、振り切って進めたらどれだけ楽かとも思います。
でも、あの不安があったからこそ、私は何度も立ち止まり、自分と向き合ってこれました。
だから私は、
「不安は、敵か味方かを決めきれないまま、それでも共にある存在」
として付き合っていくことにしました。
それに、不安が教えてくれる「慎重さ」や「確認する力」は、
私がずっと大切にしてきた強みでもあります。
新しい世界はまだ輪郭がぼんやりしています。
けれど、不安を無視せず受け止めてきたからこそ、
その輪郭に光が差し始めているのかもしれません。
これからも、時には立ち止まりながら、それでも私は進みます。
もう、ひとりで抱え込まないために。