初々しいあいさつに「頑張れー」の声が響いた日
緊張の中の登場
だいぶ前の通所施設での話です。新しく若い女性の支援スタッフが配属されました。初めて姿を見せたとき、あいさつの声は少し震えていて、言葉もどこか辿々しく、誰が見ても「すごく緊張しているんだな」と分かる様子でした。
私はその姿を見て、「初めてで緊張してるんだろうなぁ。初々しいなぁ」と、少しハラハラしながら見守っていました。
思わず出た「頑張れー」
その時、通っている利用者の中から「頑張れー!」という声が上がりました。冗談ではなく、心から応援するような声。空気が一気にやわらぎ、会場全体が少し笑顔に包まれたような気がしました。
その瞬間、私はふと思ったのです。
きっとここにいる人たちは、みんな“自分も頑張っている”という実感があるからこそ、同じように頑張っている誰かに対して、自然と応援の声をかけたくなったんだろうな。
私自身も「頑張れー」と心の中で強く思っていました。たぶん、その場にいた多くの人が、言葉には出さずとも、同じ気持ちだったと思います。
日々の振り返りも、成長の証
その職員さんは、帰りの時間に行われる利用者との活動振り返りの場でも、最初はやはり辿々しい印象がありました。相手は初対面ばかり。書類でその人の情報を知っていたとしても、実際に顔を見て、声を聞いて、しかもその上で何かを伝える――これは想像以上のプレッシャーがあるはずです。
でも最近、その姿が変わってきたのをはっきりと感じます。表情にも余裕が出てきて、自分の言葉で話しているのが伝わってきます。何より、話しかけ方に安心感があり、「ああ、頼もしくなったな」と感じさせてくれるようになりました。
プロとしての期待と、信頼の芽生え
支援スタッフは「新しい環境に来たばかり」でも、「プロとしての対応」が求められます。緊張している姿を見れば利用者は敏感にそれを感じ取り、「大丈夫かな?」という不安にもなりかねません。
もちろん最初から完璧に対応できる人もいます。でも、目の前で少しずつ成長し、徐々に場に慣れ、信頼される存在になっていく――その姿に私たちは胸を打たれ、「この人なら大丈夫」と自然と信頼を寄せるようになります。
成長していく姿を、静かに、でも確かに見守る――それもまた、この場所の優しさの一つかもしれません。
応援の連鎖が生まれる瞬間
実は私自身も、誰かを励ましたくなる瞬間がありました。
通所中のカリキュラムでサポート役をしていたとき、相談をしたい利用者が一生懸命に言葉を発しようとしている場面に出会いました。「この人にとっては、人との会話がとても大変なんだ」と感じたので、私はさらに優しく、丁寧に接することを心がけました。
その結果、その人はその後も私に声をかけてくれるようになりました。きっと、その人の世界が一つ広がったのではないかな、と思います。
一方で、私自身が「応援される側」になったときのことも忘れられません。
私は障害の影響で深く、深刻に考えすぎてしまう癖があり、ありきたりな言葉は疑ってしまいがちです。それでも、日常の中で「何度同じことを繰り返し話しても、何度も丁寧に聞いてくれる」「私の心が折れて足踏みしても、私が回復するのをじっと待ってくれる」――そういう“まなざし”から、じんわりと「応援されている」と実感できます。
「待つ」ことでつながる応援の循環
もともと私は下から支えるタイプで、一生懸命な人を応援し、優しく教えることが得意でしたが、通所を通じて「待つ応援」もあるのだと気づきました。慌てず、相手が自分のペースで進むのをじっと待つこと。これは、会社勤めをしていた頃には無かった感覚です。
かつては「なぜついてこれないのか?」「なぜ私があなたに合わせないといけないのか?」と、どちらかというと足を引っ張られる感覚を持っていました。
でも、障害によって自分自身の行動や会話のペースが極端に遅くなった時期があり、その時初めて「待ってもらう側」の気持ちを痛感しました。恐怖すら感じるほどでした。
だからこそ、今は「相手のペースに合わせて待つ」ことの大切さを実感しています。応援することも、されることも――そのどちらにも深い意味があり、お互いが応援し合うことで、場全体がやわらかく、少しずつ成長していくのだと気づかされました。
おわりに ― 優しさの循環が生まれる場所
「頑張れー」という一言や、そっと見守るまなざしは、
誰かに向けられた瞬間だけでなく、そこで生まれた“優しさの循環”を通じて、
場全体に広がっていきます。
私も、あなたも、誰かの成長や挑戦を静かに見守り、応援することで、
小さな優しさを積み重ねていける場所を、一緒につくっていけたらいいなと思います。