記憶が消えた日から、私は書き始めた──ノートに刻んだ「私の再生」

高次脳機能障害 × 生きる力

目覚めたら、世界が抜け落ちていた

目が覚めた瞬間、世界に音がありませんでした。
どこにいるのか、なぜここにいるのか、自分は誰なのか──
すべてが霧に包まれていました。

私はエンジニアとして、頭の中にシステム構造を描き、知識を積み上げて問題解決してきました。
そんな私が、記憶を失ったのです。

何も思い出せない。何も覚えられない。
私にとってそれは、自分の存在そのものを失うような体験でした。

医師から告げられたのは「高次脳機能障害」。
家族から「記憶障害になったんだよ」と何度も説明され、
そのたびに私は初めて聞いたかのように驚いていたそうです。

そしてまた、その事実を忘れていく──
「自分が記憶障害である」という記憶すら保持できない。
何度も何度も、私は初めての絶望を繰り返していました。


ノートだけが、私を覚えていた

そんな私が、無意識に取り続けていた行動があります。
それが「記録をとること」でした。

搬送された直後から、私はノートとボールペンを手にしていたそうです。
まるで取り憑かれたように、言葉を書き続けていました。

自分では覚えていません。
けれど、結果的に私は入院中に9冊の大学ノートを書き上げていました。

最初に書いたのは「今日は何日か」「ここはどこか」「なぜここにいるのか」。
これはまるで、遭難者のSOSのような、生存証明のような文字でした。

何かに追われるように。自分を必死につなぎとめるように。
私は「今この瞬間」を封じ込めようとしていたのかもしれません。


ページの中で、心が回復していった

書き殴るように綴ったノートを、後に自分で見返したとき、
まず思ったのは「よくこれだけ書いたな」という驚きでした。
次に浮かんだのは「あまり大したことは書かれていないな」という冷静さ。

でも、よく見ればそこには明確な変化がありました。

最初はただの記録。まるで機械が書いたような無機質な文字列。
それが徐々に明るさを帯び、次に焦燥や不安へと移り変わっていく。
そして最終的には、「これからを生きる」ための言葉が並ぶようになっていました。

記憶は失われていたけれど、心はノートの中で回復していたのです。


“元の世界”は、もうどこにもなかった

ある日、ノートの1ページに力強く書かれた言葉を見つけました。

「必ず元の世界に帰るぞ!」

その言葉には、かつての仕事仲間の名前が並び、
「みんなが待っている」とありました。
私はその言葉を信じて、退院後すぐに仕事へ戻りました。

──けれど、そこにあったのは「元の世界」ではありませんでした。

かつての信頼も、仲間意識も消えていました。
「足手まといになったあなたは、もういらない」
そんな空気の中で、私は現実の厳しさを知りました。

それでも私は、書き続けました。
私が何者であったか、そして今、何者であるのかを。

そして今、ようやく気づきました。
もう“元の世界”には戻れない。
だから私は戻るのではなく、進むことに決めました。


あの日の自分へ。これを読むあなたへ

もし、あの頃の自分に声をかけられるとしたら、こう伝えたいです。

「本当に支えになるものは、自分の中にある。
あなたの努力は、確実に積み重なっている。
大丈夫。あなたは壊れていない。諦めないで」

そして今、この記事を読んでくれているあなたへ。
私が伝えたいのは、たったひとつ。

努力は、障害すら乗り越える。

それは理想ではなく、私が記録で証明してきた現実です。


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