「こだわり」の奥にある恐怖──記憶障害と二次障害を生む“理解のすれ違い

高次脳機能障害 × 生きる力

私は記憶障害を抱えています。短期記憶に不具合があるため、日常の中で「同じ質問を繰り返す」「同じ確認を何度もしてしまう」といった行動が起こります。
これらは時に「こだわりが強い」「融通が利かない」と誤解されることがあります。

でも本当は、「確認しなければ不安で仕方がない」のです。
その不安の背景には、単なる障害だけでなく、「過去の失敗」と「それに対する周囲の反応」があります。


恐怖というラッピング

一度の失敗が、私には何度も繰り返される“恐怖”になります。
その恐怖を回避するために、確認行動が始まります。でも安心は長く続かず、また確認してしまう。
そんな自分に自分で疲れてしまうことさえあります。

そして、そのループを強めてしまうのが、「他者の反応」です。

「また同じこと言ってるの?」
「それさっきも言ったよね?」
「いい加減にしてくれない?」

こうした言葉は、たとえ悪意がなくても、記憶障害の私にとっては「自分が怖れていた未来」を現実にします。
記憶の不安は“恐怖”へとラッピングされ、「確認しないと怒られる」「確認しても怒られる」という矛盾の中で、
私は立ちすくんでしまいます。


早すぎた復職と、静かに進行した二次障害

障害を抱えて間もない頃、私はかなりの早さで職場復帰をしました。
でも、記憶のエラーが次々に起こり、失敗が続き、やがて周囲の態度は冷たくなりました。
「以前のようには働けない私」が、誰かの期待を裏切っているようで、罪悪感ばかりが募りました。

無理を重ねるうちに、笑えなくなり、考えられなくなり、ある日突然涙が止まらなくなりました。
それが静かに進行していた“二次障害”だったのです。


周囲が優しくなれない理由も知っている

私は今、「もっと優しい対応があれば…」と願う気持ちと同時に、
「周囲にも優しさを発揮できない理由がある」ことも理解しています。

  • 人手不足の職場で、誰かが欠けると回らない現実
  • 家計が逼迫していて、療養に専念できない家庭事情
  • 上司自身も余裕がなく、ミスが許されないプレッシャー下にいる

だからこそ、たとえ医療者が「ゆっくり休んでくださいね」と言っても、
現実にはその通りにできない人が多いのです。
そして、そうした余裕のなさが、結果的に「早く戻ってきてほしい」という焦りに姿を変え、本人をさらに追い詰めてしまうのだと思います。


「誰も悪くないのに、誰かが傷つく構造」

このようにして、本人の無理と、周囲の期待と、社会の構造が絡まり合い、
誰も望んでいなかったはずの「二次障害」が生まれてしまうのです。

これはもう、誰かの“せい”ではありません。
でも、誰かが“傷ついた”という事実だけは、見過ごしてはいけないと思うのです。

だから私は、こういう話を記録し、発信することにしました。
それは「理解してほしい」という叫びでもあり、
「誰もがもう少し優しくなれる仕組み」を考えるきっかけになればという願いでもあります。


おわりに

「こだわり」と見える行動の奥には、
記憶の穴と、それを覆う恐怖の層があるかもしれない。
その可能性を少しでも知ってもらえたら、
何かが変わり始めるのではないかと思います。

「誰も悪くないのに、誰かが傷つく構造」──
それを少しずつ見直す社会であってほしいと願いながら、
私はこれからも、自分の声を記録していきます。

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