はじめに
「怒り」は壊す力にもなりますが、記録すれば支える力にもなります。
このページは、忘れたくなかった気持ちと、それを記録することで守ろうとした実践の記録です。
怒りや理不尽を記録することで自己理解と回復に繋げた実体験を紹介。高次脳機能障害・記憶障害を持つ当事者が、感情を“知性”へと変えるプロセスを綴ります。
これは、ある時期に私が続けていた“怒りの記録”です。

きっかけは、理不尽な出来事に対する強い感情でした。
そのとき私は、精神的にも身体的にも追い詰められていて、記憶も思考も不安定でした。
でも、ただ呑み込んで忘れてしまうのが怖かったのです。
だから、怒りが湧いたその瞬間に、何があったのか、なぜそう感じたのかを記録するようになりました。
なぜ私は「怒り」を書き続けたのか
私には、ある程度の記憶障害があります。
そのため、怒りや悲しみのきっかけとなった出来事を数日もすればあいまいに忘れてしまうということがよくありました。
ですが、その忘れた先に残るのは、ただの「自分が悪いんじゃないか」という自己否定の感覚でした。
誰に何を言われたのか、何が不当だったのか──それが曖昧になった状態では、自分を守ることも、判断することもできないのです。
だから私は書きました。
「忘れないため」に。そして、「壊れないため」に。
実際の記録(抜粋・改変済み)
- 「いつまでこの会社にいるのだ。早く次を探せ。」と一方的に言われた。
それなのに後になって「なぜ辞めるんだ」と責められた。
捨てられたことは、私は忘れない。 - 当たり前のように求められ、感謝もされなかった。
でも私は、黙ってやり続けた。
誰にも評価されないことは分かっていた。
けれど、できる自分を失いたくなくて、必死に向き合った。 - 「あなたはダメな人間だ」と言われ続けることで、自信を失わされてきた。
でもそれは、支配の手口だった。気づいてから、私は変わり始めた。
書き続けてわかったこと
書き始めた頃は、正直、ただの感情の爆発でした。
でも記録を続けているうちに、「どうして怒ったのか」「どうすれば回避できたか」「何が私にとって大切か」が少しずつ見えてきました。
記録を通じて、感情を“構造化”できるようになったのです。
すると、不思議なことに、怒りが冷静さに変わり、自己否定が「違う」という確信に変わっていきました。
おわりに
今も、私はこの記録のすべての価値を理解しているわけではありません。
でも、「記録すること」は、確実に私を支えてきました。
そしてこれからも、私自身を守る“技術”として使っていこうと思っています。
もし今、怒りや疑問の中にいる誰かがいたら──
それを心の中で煮詰める前に、ぜひ書き出してみてください。
言葉にすることで、感情は知性に変わります。
それが、あなた自身の道しるべになりますように。