はじめに
自己理解――それは簡単なようでいて、実はとても難しいものだと私は感じています。
なぜなら、自分自身を正しく見ることほど難しいことはないからです。
自分のことは自分が一番わかっている。
そう思い込みがちですが、実際には「思い込み」や「見たいものだけを見る」クセが働き、
正確な自己認識ができていないことが多いのです。
今回は、私自身の体験を交えながら、自己理解を深めるために意識していることについてまとめたいと思います。
他人の目と自分の目はなぜズレるのか
私たちは、つい「自分はこういう人間だ」と思い込んでしまいます。
しかし、他人の目から見た自分は、まったく違っていることが少なくありません。
なぜなら、
- 他人は比較的「客観的な視点」で私たちを見ているのに対し、
- 自分自身は「主観」という強いフィルターをかけて物事を見てしまうからです。
このズレに気づかないままでいると、
本当はできていないのに「できているつもり」になったり、
逆に、できるのに自信を持てなかったり、
さまざまな歪みを生んでしまいます。
自分にとっては空気のような「当たり前」
ただし、私自身は「自分はこういう人間だ」と特別意識して信じ込んでいるわけではありません。
それはまるで、空気を吸うときに「吸うぞ!」と意識しないのと同じです。
ごく当たり前に、自然とそう捉えているだけです。
だからこそ、自分を客観視するという行為は非常に難しいのだと実感しています。
特に、中途で脳に障害を負った場合には、
「自分がどう変わったのか」を自覚することはなおさら困難です。
頭で「こういう障害がある」と理解していても、
真に「実感」として自覚するのは、全く別の次元の話だと感じます。
他人の目も絶対ではない
また、他人の評価も常に正しいとは限りません。
その人との関係性や、利益関係によって、評価は大きく変わります。
- 信用できる相手
- 信用できない相手
- 利害が絡んでいる相手
こうした背景を無視して、「他人の目が正しい」と単純に受け入れることはできません。
他人の視点は、あくまでも参考情報のひとつであり、
鵜呑みにするのではなく、慎重に受け止めるべきものだと私は考えています。
実体験:私はこうしてズレに気づいた
私がこの「ズレ」に衝撃を受けたのは、リハビリ施設でのグループリハビリのときでした。
ある時、グループの中で明らかに重症に見える方が、
「私は困っていることなんてない」と語る場面に出会いました。
それを聞いて驚くと同時に、
——もしかして、自分もそう見えているのかもしれない
と、はっとしました。
また、別の就労支援施設では、他の人たちが取っているメモの量に驚きました。
私がノートに書いていた内容の何十倍もの情報が、ぎっしりと詰まっていたのです。
自分では「十分やっている」と思っていた。
けれど、客観的に見れば、まだまだ努力が足りなかった。
このように、他人の行動や発言を通して、自分の認識とのズレに気づくことができました。
自己理解を深めるために意識していること
自己理解を深めるために、私はいくつか意識していることがあります。
疲労による判断力の低下と強制的な行動衝動
疲れたときに起こるのは、単なる「過信」ではありません。
疲労が極まると、自分が疲れていることすら正しく認識できなくなる。
その結果、正常な思考や判断が難しくなり、
本来なら取れるはずの選択肢——中止する、休む、先延ばしにする——が視野から消えていきます。
代わりに、内部から強烈な「やらなければならない」という強制力が働き、
選択肢が**「何が何でも今すぐに実行する」**という一つに絞られていきます。
私自身の体験では、
「これをできなければ、ダメな人間だと烙印を押される」
「もう元の世界には戻れない」
そんな恐怖と焦燥感に追い詰められ、
何としてでも課題を解決しなければならないという強迫観念に囚われていました。
これは「過信」とは異なり、
火災に遭ったビルの屋上で、逃げ場を失い飛び降りる、そんな極限状態に近い心理現象です。
他人のふるまいから学ぶ
他人の行動、言葉、姿勢。
そこには、今の自分に足りないものや、見落としているものが必ずあります。
だから私は、周囲の人たちを「観察」することを意識しています。
他人を批判するためではなく、学びを得るために。
自己客観視を意識する
何か行動を起こしたとき、
「もし自分が他人だったら、どう見るだろうか?」
と自問する癖をつけています。
自分を外側から見ることで、
慢心や思い込みに気づくチャンスが増えるのです。
自己理解を深めることで得られたもの
こうして意識して自己理解を深める努力を続けた結果、
私は少しずつ、次のような力を得ることができたと感じています。
- 自己修正力:間違いに早く気づき、修正できる力
- 周囲への適応力:他人とのズレに敏感になり、調整できる力
- 謙虚さ:自分を過信せず、学び続けようとする姿勢
以前の私は、経験や実績に頼り、どこかで慢心していたかもしれません。
今は、常に自分を疑い、見直すことが成長への近道だと感じています。
まとめ:自己理解とは「自分との関係を見直す」こと
何か行動を起こしたとき、
「もし自分が他人だったら、どう見るだろうか?」と自問するようにしています。
これは、“自分を外から見る”という意味での自己客観視です。
私は、この問いかけを通じて、
無意識の慢心や、「できたこと」に対する過小評価、
そして「できなかったこと」への過剰な自己批判に気づくチャンスが増えました。
けれど、気づいたことをそのまま放置していても、行動は変わりません。
だから私は、“気づき”を「記録」や「メモ」に落とし込み、
“明日の自分”が再起動できるように仕掛けを作っています。
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