「積み重ねるということ──記憶が崩れても、私が努力をやめない理由」

高次脳機能障害 × 生きる力

はじめに

私はある日、ふとChatGPTに「新しい世界へ向かう不安」を打ち明けました。
その一歩がどれほど怖いか、そしてそれでも進もうとする理由を、言葉にして確かめてみたくなったのです。
この記事は、その一連の対話の中で見えてきた「努力」「記憶」「自信」についての私自身の記録です。


不安と向き合うことから始まった

新しい世界に向かうとき、私の中にはいくつもの不安がありました。
「体調」「人間関係」「能力の証明」「忘れたらどうしよう」「また裏切られるかもしれない」──
ひとつひとつは些細なようで、積み上がると前に進む足を止めかけるほどの重さを持っていました。

でもその不安に対して、「敵とは言い切れない」という思いもありました。
不安は私を守ろうとする防衛本能のようなもの。だから、否定はせずに向き合いたい。
そんな気持ちで、私は少しずつ「不安の正体」を整理し始めました。


努力が積み重ならない現実

私はこれまで、「努力は裏切らない」と信じて生きてきました。
何事もコツコツ積み上げていけば、必ず道が開けると。
でも障害を負ってから、その信念が音を立てて崩れました。

積み上げても、翌日にはそれを忘れてしまう。
三途の川で石を積み上げては、鬼に崩されるような毎日でした。
努力しても、何も残らない。積み重ならない。
それが私の現実になったのです。


それでも支えたもの

それでも私が前を向けたのは、病前に培った「スキル」と「性格」のおかげでした。
長年の仕事で身につけた技術、そして諦めずに粘る性格──この2つが、かろうじて自分を支えてくれていた。

だから私は、努力の“方法”を変えることにしました。
「頭で覚える」のではなく、「記録で積み上げる」ことに。
Evernote、ファイル、キングファイル。
私のカバンはいつもパンパンで、ファイルの冊数は“準備力の可視化”だとすら思っています。


自信を失っていた。でも…

障害を負ってから、私が最も失ったのは「自信」でした。
自分を信用する力──それがごっそりと抜け落ちてしまった。

でも、就労移行支援に通っている中で、ある出来事がありました。
それは、職員の方が私の強みと努力目標を、私以上に的確に言語化してくれたこと。
「ここは自分以上に自分を知っている」と感じた瞬間でした。
それが、自信の再構築の第一歩でした。


メモで記憶を支える

記憶に自信がない私は、些細なことでもすぐにメモを取ります。
その結果、爆発的にメモが増えました。
記録は安心のための道しるべ。
でも、ただ増えるだけでは整理が追いつかない。
だから私は、古いものは“見えない場所”へ移し、新しいものだけを残すという運用を編み出しました。

それは、普通の人がやらないレベルの準備と工夫です。
でもそのおかげで、他の人では絶対に任せられないような複雑な作業もこなせるようになったのです。


普通の人と同じスタートラインではない

私は「出発点がマイナス」だと感じています。
普通の人が努力なしで立っている場所に、私がたどり着くには何倍もの時間と工夫が必要です。

だからこそ、自分にはっきり言いたい。
「努力不足」なんて、絶対にない。
むしろ、普通の人がやらない“努力の努力”を重ねてきたと胸を張りたいのです。


積み重ねる理由は、綺麗なものばかりじゃない

私が積み重ねをやめない理由。
それは決して美しい理想だけではありません。

「臥薪嘗胆」──私を馬鹿にした人たちを見返すという執念。
そして「将来に不安のない生活」を手に入れるための現実的な願望。
中途障碍者として、食べられなくなる未来を避けたい。
それが、積み重ねをやめられない理由です。


砂の城でも、積み続ける

記憶が巻き戻る瞬間は、本当に辛いです。
努力が崩れることもある。
砂で作った城が、ほんの些細な波で崩れてしまうような儚さ。

でも──それでも、私は積み上げます。
今は、経験したことが少しずつ血肉になっている感覚があります。
「これはきっと、積みあがっている」そう思えるようになってきたのです。


おわりに──自分を信じるということ

自信とは、自分の強みと努力目標を理解したうえで、
できることを繰り返し、その結果が周囲に影響を与えたときに得られる“行動の原動力”。

私はまだ、その途中にいます。
でも確実に、歩みは前に向いている。
そして私は、自分の人生を「努力が報われる場所」にしたいと願っています。

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